近頃巷を賑わせているAIですが、私は現在のようなブームになる遥か以前、90年代頃から、色々と情報を集めていました。
当時は、「エキスパートシステム」「遺伝的アルゴリズム」といったキーワードが溢れかえっており、私の友人にも、現在のIBMワトソンのようなシステムとはちょっと違う、特殊な発話アルゴリズムの研究を行っている人が居ました。

AIは、その名の通り「人工知能」なのですが、本当にささやかな、単純パターン認識を以て、成功と捉える人も居れば、鉄腕アトムのような「人間そのもの」の実現こそが本当のゴールだと考える人も居ました。

一方で、もっと以前から、AIの実現困難性についての議論も非常に盛んで、「(強い)AIの実現は原理的に不可能」と断言するグループもありました。
例えば、哲学者のJ・サールは、「中国語の部屋」という面白い思考実験を提示し、コンピュータには意味論が扱えないことを指摘しています。

勿論、強力に反論する人たちも沢山いるのですが、このあたりの論争は、概念的な、まるで宗教論争の様相を呈しており、当時の私は、面倒になって理解を投げ出してしまいました。

最近のディープラーニング等、機械学習による目覚ましい進歩の数々は、当時の熱量や興奮を呼び覚ますのに十分なだけの成果が得られており、数年前から再び情報収集を開始したのですが、同時に、AIの原理的困難についての議論を嫌でも色々と思い出してしまいます。
特に、東大入試合格を目指していた「東ロボ君」の開発断念の話題は、上述の意味論の問題がそのまま発現しているように思いました。
それでも、ちょっと前なら「絶対に無理」と言われていたことが容易く実現する世界になってきている昨今では、何が起きるか判りません。
引き続き、情報収集を進めて、ゆくゆくは業務に応用可能なソリューションの展開を目指したいと考えています。